ゲゲゲ!有名な漫画家さんの特異日だ
なぜか有名な漫画家ばかりが生まれた【3月8日】
有名人の誕生日を調べていると、特定の職種の有名人ばかりが目立つ日がときどきあります。プロ野球選手が多い誕生日、アナウンサーがやたら多い誕生日、ミュージシャンが多い誕生日、などなど、いわゆる「特異日」と呼びたくなるような誕生日の偏りがあって、とても面白いのです。
ここでは「有名な漫画家の特異日」として、3月8日をご紹介したいと思います。この日生まれた有名な漫画家さんは、次のとおりです。
- 『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげる先生
- 『まじかる☆タルるートくん』、『東京大学物語』の江川達也先生
- 「クイズダービー」のはらたいら先生
- 『バリバリ伝説』、『頭文字D』のしげの秀一先生
それぞれにコアなファンがたくさんいる超一流の漫画家さんが揃いました。3月8日、すごいです! それでは、それぞれの作品や人物像を見ていきましょう。
水木しげるは3月8日に生まれた
水木しげるさんは、日本の漫画家であり、妖怪研究家でもあります。その人生については、NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』などでも紹介されていますが、とても激動の人生でした。
- 生誕と育ち: 1922年3月8日に大阪府で生まれ、その後鳥取県境港市で育ちました。幼少期には、祖父母から聞いた妖怪の話に強い影響を受けたそうです。
- 戦争体験: 第二次世界大戦中、激戦地ラバウルに出征し、左腕を失いました。そんなつらい経験をしたにもかかわらず、水木しげるさんは現地民と親しくなり、ニューブリテン島に残ることを希望しました。しかし、周囲の説得で日本へ復員することを決断しました。後の作品にも戦争を題材にしたものが多数ありますが、戦場での過酷な経験は、水木しげるさんの人生に大きな影響を与えています。
- 漫画家デビュー: 紙芝居の制作を経て、1958年に漫画家デビュー。代表作となる『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となりました。漫画家としてだけでなく、妖怪研究家としても知られ、妖怪文化に深い愛情を持っていました。
水木しげるの代表作は?
- ゲゲゲの鬼太郎: 妖怪たちの活躍を描いた作品で、世界中でファンを持つ人気作です。
- 河童の三平: 河童の三平と人間の少年の友情を描いた作品で、愛らしいキャラクターが魅力です。
- 悪魔くん: 悪魔くんと仲間たちの冒険を描いた作品で、ユニークな設定が人気です。
- のんのんばあとオレ: 人間と妖怪の共存をテーマにした作品で、心温まるエピソードが印象的です。
江川達也は3月8日に生まれた
江川達也さんは、多くのヒット作を生み出しています。また「タモリ倶楽部」をはじめ、多くのテレビ出演でいっそう有名になりました。
- 生誕と育ち: 1961年3月8日に愛知県名古屋市で生まれました。彼は小学生の頃からノートに漫画を描き始め、中学時代には投稿作品を完成させました。しかし、その後は一度漫画から離れていました。
- 教育の道: 名古屋市立北高等学校を経て、愛知教育大学教育学部数学科に入学しました。大学では人形劇サークル、漫画研究会、アニメ研究会に在籍し、漫画以外の創作活動も行いました。大学卒業後、公立学校教諭として数学科講師を務めた後、漫画家本宮ひろ志のアシスタントを4ヶ月間務めました。
江川達也の代表作は?
以下は江川達也さんの代表作です。幅広いジャンルで執筆しています。
- まじかる☆タルるートくん: 少年誌向けのギャグ漫画で、人気を博しました。
- 東京大学物語: 青年誌向けのストーリー漫画で、東京大学を舞台にした作品です。江川達也さん自身が教師を経験したことから、学校や教育をテーマとした作品を多く執筆していて、現在の学校教育や学歴社会、受験戦争の問題点を鋭く指摘しています。
- 日露戦争物語: 歴史漫画で、日露戦争を描いています。
- GOLDEN BOY: 青年誌向けの作品で、ビジネスマンの冒険を描いています。
江川達也が尊敬する漫画家は、水木しげる!
江川達也さんは、手塚治虫さんや藤子不二雄さんなどの大御所の作品に正面から批判を展開するなど、過激とも言える面がある一方で、自著『現実はマイナーの中に』の中で最も尊敬する漫画家として挙げたのが、なんと同じ3月8日生まれの水木しげるさんです。
ちなみに、同じ誕生日ということが尊敬の念につながったのかどうかは不明ですが、もしもその事実をご存じであれば、少なくともより親近感が増したのではないかなと想像してしまいます。
また、江川達也さんの作品の特徴として、洗脳や妄想など心理学にも強い興味を持っているようで、これらの言葉が作品内に登場し、作品のテーマとなることも多いです。
はらたいらは3月8日に生まれた
はらたいらさんは、漫画家、随筆家、テレビタレントとしても、多彩な作品と唯一無二の個性で多くのファンを魅了しています。
- 生誕と育ち: 1943年3月8日に高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)で生まれました。はらたいらさんは中学生の頃から漫画雑誌への投稿を始め、地元の漫画研修会に参加し、ナンセンス漫画の才能を発揮していました。
- ヒット作: 1963年に『週刊漫画TIMES』の連載『新宿B・B(ベベ)』でデビュー。はらたいらさんの代表作には『モンローちゃん』(週刊漫画ゴラク連載作品)や『はらたいらのゲバゲバ時評』(漫画アクション連載作品)があります。
「巨泉のクイズダービー」で大活躍!
はらたいらさんは風刺漫画化として頭角を現しましたが、彼は日常からじつに多くの新聞や雑誌を購読しており、風刺漫画家としての視点を持っていました。その知識と教養は、当時の大人気クイズ番組「巨泉のクイズダービー」への出演という、漫画の執筆以外での活躍につながることになりました。テレビでも注目された端正な顔立ちは「漫画界のアラン・ドロン」と評されることもありました。
はらたいらさんは大橋巨泉さんが司会を務めた人気番組「クイズダービー」に、3択の女王こと竹下景子さん、篠沢教授らとともにレギュラー解答者として出演し、約15年間活躍しました。はらたいらさんの驚異的な正答率はなんと約75%で、番組内での「はらたいらさんに3000点」という言葉が「相手の予想に同意する」ことの代名詞となりました。
しげの秀一は3月8日に生まれた
しげの秀一さんは、漫画家であり、同人作家でもあります。彼は新潟県十日町市松之山出身で、1958年3月8日生まれです。
- 学生時代から同人活動を行っており、ひおあきらさんのアシスタントとして漫画家の道に進みました。しげの秀一さんの作品は、その独自の絵柄とストーリーテリングで多くのファンを魅了しています。
- 1981年に再デビューし、以降、数々の作品を手がけました。しげの秀一さんの作風は、少年漫画から少女漫画まで幅広く、その変化にはくらもちふさこさんの影響が強いと言われています。
- モータースポーツ愛:しげの秀一さんは富士スピードウェイの存続をめぐる運動に参加し、作品『バリバリ伝説』でも反対運動を描いています。
しげの秀一の代表作は?
しげの秀一さんは、その独特の視点と情熱で多くの読者を魅了してきました。彼の作品は、バイクや車、超常現象など、さまざまな要素を巧みに組み合わせています。作品には「外車を出さない」というルールを設けていましたが、その理由は、日本の峠を走る若者に手の届く車を描きたかったからだとか。
- バリバリ伝説:熱血バイク漫画で、第9回講談社漫画賞少年部門を受賞しました。
- 頭文字D:車のドリフトレースを描いた作品で、群馬県を舞台にしたことも特徴です。
- MFゴースト:モータースポーツと超常現象を組み合わせた作品です。
まとめ
いかがだったでしょうか。有名人の誕生日にはときどき、特異日と呼べそうな日があり、ここで紹介した3月8日は、まさに「有名な漫画家さんの特異日」と呼びたくなる誕生日なのでした。
水木しげるさん、江川達也さん、はらたいらさん、しげの秀一さん。3月8日生まれの有名な漫画家さんの中に、みなさんの好きな漫画家さんはいましたか? (ちなみに、当サイトの管理人・有名人誕生日研究所所長の好みは、ダントツで水木しげるさんです!)