この誕生日がすごい!【3月14日】ホワイトデーに生まれたアインシュタイン

人類史上いちばん有名な物理学者・アインシュタインはホワイトデーに生まれた

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世界中でいちばん有名な物理学者

アインシュタインは、世界中でいちばん有名な物理学者で、相対性理論や光量子仮説などの画期的な理論を発表しました。彼は1879年3月14日にドイツのウルム市で生まれましたが、その日は日本ではたまたまホワイトデーと呼ばれる日でした。ちなみに、円周率の日でもありますが、それは彼の誕生日からの由来ではなくて、単に円周率が3.14だから。同じく、数学の日にも制定されています。

2月14日のバレンタインデーは、愛や友情を祝う日として知られています。そして、そのお返しをするのが3月14日のホワイトデー。とはいえ、これは日本のデパートが仕掛けた日本国内限定の記念日ですので、アインシュタインは知る由もありません。

しかし、意外なことにアインシュタインにとっては、そんなバレンタインデーやホワイトデーに象徴されるような良好な恋愛や円満な家庭を営むことは、物理学よりもずっと難しいことだったかもしれません。

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結婚運には恵まれなかったアインシュタイン

アインシュタインは、生涯で二度結婚しましたが、どちらも不幸な結末を迎えました。

最初の妻ミレヴァとは、彼がノーベル賞を受賞したときに離婚しています。離婚の慰謝料としてノーベル賞の賞金を彼女に渡すという条件をつけたことは有名なエピソードです。二番目の妻エルザとは、彼がドイツからアメリカに亡命したときに再婚しましたが、彼女は1936年に死去しました。アインシュタインはその後、親戚や部下との不倫関係にも関わったというエピソードが残されています。

ついでに、アインシュタインとマリリン・モンローの接点についてもご紹介しましょう。二人が実際に会ったことがあるという証拠はありませんが、いくつかのエピソードが伝えられています。

一つは、マリリン・モンローがアインシュタインにプロポーズしたという噂です。これは、マリリンがアインシュタインに手紙を書いて、結婚すれば「世界一美しい子供ができる」と誘ったという話ですが、真偽は不明・・・というかかなり怪しいものです。

もう一つは、映画『マリリンとアインシュタイン』という作品です。これは、1954年にアインシュタイン、マリリン、ジョー・ディマジオ、マッカーシー議員とおぼしき人物たちがホテルの一室に集まって繰り広げるドラマです。もちろん、この映画は、実際に起こったことではなく、フィクションですが、アインシュタインとマリリンの関係を想像するには面白いかもしれません。

ちょっと変わった男の子

アインシュタインは、自分の興味のあることにしか集中できないという性格でした。

幼い頃は言葉が遅く、学生時代は授業をさぼって独学で勉強しました。卒業後は特許庁に就職しましたが、そこで彼は自分の研究に没頭しました。

1905年には、特殊相対性理論、光量子仮説、ブラウン運動の理論という3つの革命的な論文を発表しました。これらの論文は、物理学の世界を根底から覆すものでしたが、当初は誰にも理解されませんでした。しかし、次第に彼の理論の正しさが実証され、彼は世界的な名声を得ました。そして1921年には、光量子仮説によってノーベル物理学賞を受賞しました。

戦争とアインシュタイン、日本への訪問

アインシュタインは、科学者としてだけでなく、人道主義者としても活躍しました。

彼はユダヤ人であったため、ナチスの迫害を受けました。彼は1933年にドイツを離れ、アメリカに移住しました。彼は第二次世界大戦の勃発を予見し、ルーズベルト大統領に原子爆弾の開発を促す手紙を書きましたが、後にそれを深く後悔しています。彼は戦争が終わった後、核兵器の廃絶や世界平和のために尽力しました。1955年には、ラッセル=アインシュタイン宣言に署名し、科学者としての責任を訴えました。

アインシュタインは、日本にも深い関心を持っていました。彼は1922年に改造社の招待で日本を訪れました。彼は全国で講演を行い、多くの日本人たちに熱狂的に歓迎されました。彼は日本の文化や風景に感動し、能や松島などを見学しました。彼は日本人の礼儀や上品さを高く評価しましたが、一方で人力車や貧困などには批判的でした。

彼は日本の科学者とも交流し、東北大学を訪れたときには「将来我々の良い競争相手になる」と書き残しました。彼は日本滞在中にノーベル賞の受賞を知りましたが、それを自慢することはなく、謙虚に振る舞いました。彼は日本を「神秘のベールに包まれた国」と呼び、日本に対する敬意と好意を示しました。

バイオリンも得意だったアインシュタイン

アインシュタインといえば、舌を出した写真が有名です。それは彼のチャーミングな一面を表しています。彼はとてもユーモアセンスがあり、子供や動物が好きだったと言われています。

彼はバイオリンを弾くのが趣味で、音楽にも造詣が深かったそうです。自分の理論に大きな自信を持っていましたが、常に探求心を持ち続け、新しい発見に挑戦しました。信念に基づいて行動し、社会的な正義や平和を求めました。彼は1955年に76歳で亡くなりましたが、アインシュタインの遺した理論や思想は、今もなお私たちに影響を与えています。

アインシュタインは、偶然にもホワイトデーに生まれた天才物理学者でしたが、彼の人生は愛や友情だけでなく、苦難や挑戦にも満ちていました。彼は自分の興味のあることに情熱を注ぎ、科学の世界に革命を起こしました。