この誕生日がすごい!【10月5日】映画『007シリーズ』と『ビートルズ』が生まれた日

『007シリーズ』とビートルズの意外な関係

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『007』の初公開日と、ビートルズのデビューシングル発売日

1962年10月5日、英国で2つのすごい出来事が起きました。

ひとつは、映画『007シリーズ』の記念すべき第一作となる『007/ドクター・ノオ』の公開開始、そしてもうひとつは、ビートルズのデビューシングル『ラヴ・ミー・ドゥ』の発売開始

つまり、映画『007シリーズ』とビートルズの「誕生日」が、まったく同じ1962年10月5日なのです。

この2つの出来事が同じ国で同日に重なったことは、偶然の一致とはいえ、驚きの事実です。しかし、1960年代の英国の文化的背景をよくよく調べてみると、「偶然の一致」が起きたのは「必然」ともいえる状況だったのかもしれません。

1960年代の英国カルチャーシーンを調べてみた

1960年代初頭の英国は、映画や音楽といったカルチャー分野で革新的な動きが盛んになっていました。

第二次世界大戦後の復興期を経て、いわゆる若者文化が急速に広がり、それが映画や音楽を中心にした新しいカルチャーを生み出していった時代と言われています。映画『007』シリーズやビートルズの成功は、まさにその象徴と言えるでしょう。

映画『007/ドクター・ノオ』とショーン・コネリー

映画『007/ドクター・ノオ』は、イアン・フレミングのスパイ小説を原作としたもので、冷戦時代の緊張感を背景に英国の洗練されたスパイ、ジェームズ・ボンドを描いています。シリーズ第一作となるこの作品でジェームズ・ボンドを演じたのが、当時まだあまり知られていなかった俳優ショーン・コネリーでした。

ショーン・コネリーのジェームズ・ボンド像は、彼のタフさとエレガンスを兼ね備えた魅力で、多くの観客を魅了しました。以降、ダニエル・クレイグまで続く歴代ボンドの中でも、初代ボンドのショーン・コネリーを理想のボンドとするファンは多数派です。

『ドクター・ノオ』は予想以上の成功を収め、その後の『007シリーズ』の基盤を築くことになりました。コネリーのボンドは、英国の男性像やスパイ映画のスタイルに強い影響を与え、彼自身も世界的なスターとなりました。

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ビートルズと『ラヴ・ミー・ドゥ』

同じ日にデビューしたビートルズは、現代でも広く知られる、音楽界に新たな風を吹き込んだバンドです。

彼らのシングル『ラヴ・ミー・ドゥ』は、まだビートルズが国際的な成功を手にする前のものでしたが、そのサウンドは既存のポップミュージックとは異なる革新性を持っていました。

ビートルズはその後、1960年代の「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の中心的存在となり、世界中で熱狂的なファンを生み出していきました。

1966年には日本にも来日。日本公演は1966年6月30日から7月2日まで東京の日本武道館で行われ、ファンの熱狂的な歓迎を受け、社会現象となりました。

当時の「英国発」は熱量がすごかったみたい

1960年代初頭の英国では他にも多くの名作が生まれています。

たとえば、同じ1962年には壮大な叙事詩的映画『アラビアのロレンス』が公開され、英国映画の高いレベルを示しました。さらに、ここではタイトルは割愛しますが、テレビや演劇、アートの分野でも、当時の英国は次々と革新的な作品を送り出し、世界に影響を与えていました。

「偶然」ではなく「必然」なのかも

これらを振り返ると、『007/ドクター・ノオ』と『ラヴ・ミー・ドゥ』が同じ日に世に出たことは、単なる偶然ではなく、当時の英国が文化の中心地として成熟していたからこそ起こり得た「必然」だったと言えないでしょうか。

冷戦時代の一種のスリルや国際的な緊張感を背景に、映画『007』は英国の洗練されたスパイ像を描き、一方でビートルズは音楽の新しい形を提示し、若者たちの心を掴みました。

1960年代の英国は、戦後の復興を経て、新しい文化を創り出す力を持った国として、世界に影響を与えていた時代です。この時期に生まれた『007』シリーズやビートルズの音楽は、それぞれが映画と音楽という異なる分野で英国の独自性と創造性を世界に示した象徴的な存在です。

1962年10月5日に、これらの二つの象徴的な出来事が同時に起こったのは、まさに当時の英国文化が国際的に開花した瞬間を表していると思います。